印篭(蒔絵)買取/福岡県・骨董品|福岡市東区で
日本刀や鍔、印篭や根付など買取り致しました。この
印篭は江戸期の物ですがとても状態も良く蒔絵も堅牢なものです。中は梨地の美しい漆が施されておりましたので高価買取させて頂きました。ありがとうございました。
印籠とは、男性が帯に下げて携行する小型の容器のこと。当初は印や印肉をを入れる容器として使用されていたころから、印籠(いんろう)と呼ばれるようになりましたが、やがて丸薬などを携行するために用いられるようになっていきます。そして使用用途が変わったことで、次第に小型化して携行しやすくなり、装飾性の高い印籠がつくられるように。庶民のあいだでも浸透してくるようになると、印籠は次第にファッションアイテムの一部としてとり入れられるようになっていきました。こうして印籠は、徐々に装飾性が求められるようになっていき、漆絵や蒔絵、箔押し、堆朱、螺鈿、彫金などといった装飾が施されるようになったそう。工芸技術が飛躍的に発展していた江戸時代は、
印籠のほかに根付や刀の目貫などの装飾性も高い時期であり、それらのみをつくる職人もいたとされています。施されている蒔絵ですが4、5段重ねに仕切った偏平な小型容器で、紐が付いて腰に下げられるようになっています。印籠細工は江戸時代の工芸の最も特色ある一分野となりました。印籠には在銘品も多く、有名な蒔絵師の芝山は青貝や象牙などの象嵌細工をよくした芝山仙蔵のことで、その作品は芝山細工と称されたそうです。
実は印籠も根付も桃山時代に発生したもので、歴史は浅く、 その取り合わせに作法はほとんどありません。しかし、紐や取り合わせを工夫すると、 印籠は何倍も美しく見えますし、持ち主の個性を表現することもできます。取り合わせについて考える事も印籠の収集、鑑賞の楽しみのうちの一つです。 現代では印籠は印籠、根付は根付で楽しむのが主流です。戦前のコレクターは、 多くの印籠を所有しながらも、一点ずつにその取り合わせにも意を注いでいました。 江戸時代以来の取り合わせであればそのまま保存すべきだとおもいます。最後に
蒔絵についてですが徳川幕府と大名の消滅により、幸阿弥家をはじめとして その庇護を受けていた多くの御用蒔絵師は廃業・転業に追い込まれました。 その中で、柴田是真や その門人、池田泰真 のような町蒔絵師が影響を受けずに家業を存続しました。 やがて新政府の方針により、工芸品は外貨獲得の有効な手段と位置づけられ、 中でも蒔絵は重要な輸出品目となりました。 蒔絵師も万国博覧会や 内国勧業博覧会向けの作品を作るようになります。 起立工商会社のような輸出商社もできました。 また中山胡民の門人、 小川松民は羊遊斎派の伝統である古器模造・ 修理に長じて博物局の仕事に関与しました。 明治23年(1890)に日本漆工会が設立されて、 蒔絵は古典に回帰し、展覧会時代へ移行します。 東京では池田泰真や 川之邊一朝、植松抱民などが、 京都では山本光利・ 富田幸七などが名工として知られました。 骨董品買取の福岡玄燈舎では印篭や根付を買取ります。お見積りだけでも構いませんのでお問い合わせください。福岡県内は無料出張査定致します。